is: 2007年11月アーカイブ

ひな人形


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ひな祭りに必ず付き物なのがひな人形。どんなに簡素なひな祭りをするという家庭でも簡素なひな人形だけは置いているというところがほとんどです。さてこのひな人形ですが、由来については別の項ですでにお話しましたが、今度はその中身についてお話したいと思います。
まずはひな人形の最も基本的な男女ペア、これは一体誰なのでしょうか。最もシンプルなひな人形でもこのペアは必ず存在します。もっと多くの人形で構成されている雛飾りでもてっぺんに鎮座しているのがこのペアです。一番高いところに座っているので、一番身分の高い人に見えますが...。その通り、このペアは親王と言って天皇と皇后を示しています。天皇・皇后が一番上に居るということは、その下に居る人たちはその家来たちです。
三人官女は宮中に仕える女官を示しており、随身の人形は右大臣と左大臣を示しています。歌にも登場する五人囃子というのはお囃子を奏でて宮中を華やかに盛り上げるための楽団で、それぞれが太鼓・大皮・小太鼓・笛・謡の楽人です。さらに豪華なひな人形になると仕丁の人形もあります。これは従者を示しており、3人で1組になっています。
ひな人形の飾り方について、これにはちゃんと理由があるのをご存知でしょうか。ひな人形は宮中の並び方をそのまま再現しているので、宮中の上位位置である左が最も身分の高い人が座ることになっています。以下の家来たちも同様で、天皇から見て左、つまり人形を見る人から見ると向かって右に座っている人が同じ高さであってもランクの高い人ということになります。
これをお読みになって、よく見かけるひな人形の配列を思い浮かべてください。天皇・皇后のうち身分の高いのは男性である天皇ということになりますから、男雛は向かって天皇から見た左側、つまり向かって右側に置かれることになります。あれ?いつも見るひな人形は男雛が向かって左にあるような気がするけど?と思った方は居られましたか?これは非常に鋭い指摘です。確かに私たちが普段目にするひな人形は男雛が向かって左に鎮座しています。これはナゼでしょう?
明治時代の文明開化によって西洋の文化が日本に入り込んだ際、逆に右側が高いランクである西洋の文化も流入します。大正天皇が即位儀式の際に西洋式に右側に立ったことにより、以後の天皇は右側に立つようになりました。これの文化がひな人形にも表れ、現在では向かって左側に男雛が座っているのです。ですがこれはあくまでも西洋式だとして、伝統を重んじる京都では今でも向かって右に男雛を置く風習が残っています。

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