2007年10月アーカイブ

ひな祭りとは


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女の子のいるご家庭ならほぼ確実にお祝いをするのがひな祭り。雛人形を飾って、友達を呼んでひな祭りパーティをして...どこにでもある光景ですね。筆者も子供の頃、ひな祭りとなると女の子の友達が家に呼んでくれてご馳走してくれたので、毎年楽しみにしていたのをよく覚えています。ひな祭りは女の子にとって大切なお祭りですが、そもそもひな祭りとはいったい何なのか、これは意外に知られていません。実のところ、筆者もこの文章を書くまで深く考えたことはありませんでした。ひな祭りとはそもそも何なのか、調べてみましたのでその結果をお話したいと思います。
ひな祭りの起源はさかのぼること平安時代になると言われています。平安時代の貴族の子供たちが遊びの一環で「雛あそび」という名称の遊びをしていたことが記録に残っているそうです。これがひな祭りの起源とされ、この頃からすでにミニチュアの人形をミニチュアの御殿に飾るということが行われていたそうです。
ひな祭りとは関係なくても、女の子は人形遊びが好きです。江戸時代になると女の子の人形遊びと節句の儀式が結びつき、それが全国に広まりました。つまり節句になると人形を飾るようになったのです。この節句というのが、現在の桃の節句と呼ばれる3月3日だったのでそれが現在のひな祭りの原形を為しました。
さて、当時から人形には単なる飾り物という意外に、もうひとつの意味がありました。それは人間の災厄を人形が身代わりになってくれるというものです。そのため、武家など身分の高い家ほど人形を飾るという風習にこだわりがあったそうです。嫁入り道具に雛人形を持参するようになると、この流れはさらにヒートアップし、その家の見栄も手伝って豪勢な雛人形が作られるようになります。江戸時代はこのような工芸品の技術が飛躍的に向上した時代でもあるため、人形職人によって精巧な雛人形がたくさん作られ、それが競われるような時代になります。十二単を着た元禄雛や大型の享保雛など、贅を尽くした雛人形が続々と作られ、しかも雛人形の後ろにある金屏風は純金の金箔張りという豪華なものまであったそうです。ですが当時の幕府が打ち出した倹約の方針によりこのような豪勢なものが規制されるようになります。特に大型のものは目立つため規制の対象となり、作られることはなくなりました。しかし江戸時代の町人は発想の転換がうまく、この規制を逆手に取って今度は小ささを競う雛人形が生み出されます。芥子雛(けしびな)と言うこの小さな雛人形は数センチほどの大きさでありながら実に精巧に作られています。
このように小さな雛人形が多く作られるようになったのが、現在の雛人形の原形になっています。現在の雛人形はこれより少し大きいですが、当時のように1メートル以上もあるようなものはありませんね。

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